YouTubeやX(旧Twitter)では、動画再生中の画面を「長押し」することで、その間だけ再生速度が倍速になるというUIが実装されています。
一見すると単なる便利な機能ですが、この「画面長押し」というシンプルな操作に倍速再生機能を割り当てたことは、デジタル時代における情報消費スタイルを象徴する重要な転換点かもしれません。今回はこのモードレスな動画再生UI設計の意味と背景について考えてみます。
一般化する倍速再生機能とコンテンツ消費の変容
近年、倍速再生は若者世代を中心に一般的な情報消費手法となりつつあります。書籍『映画を早送りで観る人たち』にあるように、人々はコンテンツ過多の中で、生存戦略としてスピーディーな消費を当たり前としつつあります。「リキッド消費」と呼ばれるこのスタイルは、SNSに情報が溢れる環境下で必要な情報だけを素早く抽出し、他者との比較や自己満足のために効率よくコンテンツを消費することが特徴です。
自分の好きな作品ですら10秒飛ばしを多用するというある大学生は、自らの視聴スタイルを「そのコンテンツにおいて必要ない、おもしろくないと感じる部分を、動画編集における”カット”の感覚でやっている」と説明した
「昔の人が早送りしていたのは、自分のためですよね。コンテンツが大好きな人が、限られた時間でたくさん作品を観て、自分を満足させるため。だけど今の若者は、コミュニティで自分が息をしやすくするため、追いつけている自分に安心するために早送りしています。生存戦略としての1.5倍速です」
事例: 動画教材と倍速再生
動画教材での倍速再生は学習効率向上のための工夫として知られます。
大学範囲の理数科目の内容をわかりやすく解説するYouTubeチャンネル『ヨビノリ』の動画では、黒板に文字を書く場面を倍速で再生し、視聴者が不要な待ち時間に煩わされることなく学習内容に集中できる工夫が見られます。こうした学習コンテンツは、倍速再生によって無駄を省き、必要な知識を素早く習得することを容易にします。
モードレスとモーダル
UIデザインの世界には「モーダル」と「モードレス」という2つの異なる世界観があります。
モーダル(Modal)なUIは、特定の操作状態に入ってから作業する「手続き的」な流れをユーザーに求めます。設定変更等は、まずメニューを開いて再生速度を選び、その状態が続くという具合です。
一方でモードレス(Modeless)なUIは、ユーザーが特定のモードに拘束されず、対象物(ここでは動画再生画面)に直接はたらきかけ、必要なときに必要な操作を瞬時に行える状態を指します。今回注目している「長押しによる倍速再生」は、メニューを開くことなく、再生中の文脈から逸脱せず、任意の瞬間で速度を変えられるモードレスなアプローチといえます。
この「モードレスとモーダル」という思想は、ソシオメディアの上野学さんのエッセイ『Modeless and Modal』が読み物として参考になると思います。上野学さんが強調する「モードレス」なデザインは、名詞(対象物)→動詞(操作)の流れで直感的に行える柔軟な操作体系を重視します。オブジェクト(動画画面そのもの)を起点に、いつでも一時的な加速が可能な倍速再生は、まさにモードレスなUI思想を体現していると言えます。
(シークバーからの再生位置操作や10秒スキップなどもモードレスな情報消費体験UIの一例ですが、今回のような再生速度変化はさらにシームレスな操作性を示しています。)
モードレス化がもたらす直感的操作
従来は、倍速再生するには歯車アイコンから速度設定メニューを開き、1.5倍や2倍などを選択する必要がありました。これは「モーダル」なアプローチで、設定変更後も手動で戻すまでスピードが固定されるため、視聴ペースを動的に変えにくい側面がありました。
一方、「長押し中だけ倍速」のモードレスなUIは、設定画面やメニューを経由せず、動画画面という対象物に直接アクションを加えることで瞬時に速度を変えられます。指を離せば即座に通常スピードに戻り、ユーザーは動画視聴の文脈から離れることなく情報取得密度を制御可能です。
これによって、倍速再生は「再生モードの切替」ではなく「再生そのものの一部」としてユーザーのメンタルモデルに組み込まれます。長押しはあたかも読み飛ばしたい箇所を流し見するような身体的・直感的な行為となり、速度調整は本質的に動画視聴という行為の中へ融け込みます。まるで、目で追い飛ばすようにテキストを速読するような感覚で、視聴者は必要な情報だけを抽出できるイメージです。
動画教材における、学習効率の動的な最適化
学習用動画では、このモードレスな倍速再生は非常に有効と考えられます。理解している箇所は長押しで素早く通過し、理解が必要な複雑な箇所では手を離してじっくり見る。この随時的な微調整が、学習者自身によるペースメイキングを可能にします。再生速度操作が自己主導的な身体インタラクションとして内在化することで、教材は「一定速度で消費されるもの」から「学習者がスピードを自在に操り情報を抽出するリソース」へと変容します。
UI上の配置が意味する価値
また重要なのは、倍速機能が、動画プレイヤーの画面全体という「最も分かりやすい操作領域」に対する、長押しという「シンプルな操作方法」に割り当てられている点です。製品やサービスのコア機能はアクセスしやすい場所に配置されることで、その価値がユーザーに強く訴求されます。
倍速再生が長押しという簡単なアクションで常時利用可能であることは、この機能がもはやオプションや特殊機能ではなく、「当たり前の操作」として公式に動画再生体験へ組み込まれていることを示唆します。これは、ユーザーが再生速度を調整する行為そのものを、自分の視聴行為の一部として内面化する大きな助けとなります。
情報を受け手が自由にコントロール・取捨選択しながら消費するコンテンツのあり方は、情報の複製が際限なく容易にできるデジタル世界と非常に親和性が高いといえます。
再生速度をモードレスに・自由自在にコントロールし、主体的に情報密度を制御して抽出させる長押しUIはこの点において大きな意味を持ち、デジタル化する世界のインタラクションの一つの方向性を示していると考えられます。